for Civil Engineer
更新日 : 2008年3月3日

滞在期間中の休日等を利用して訪れておりますオランダを中心としたヨーロッパの土木遺産や土木技術等を紹介します。ご覧下さい。


一般向け ジオ・エンジニア向け クイズに挑戦


水から国土を守る
オランダ
海水面より低いオランダの土地を守るためには堤防の安定が最も重要になっております。フリースラントの海岸の堤防で堤防の安全性を検証する実験を視察させていただきました。キャナルから汲み上げられた水を黄色い容器の中に貯めて、周期的に堤防の上から流していく実験です。堤防を越流する流れを想定しているものだそうです。5メートル程の実際の堤防を使用した実験を6時間にわたり繰り返し水を流しており、流速や水深データ計測と斜面の状況変化を観測しておられました。植生の違いによる被害状況を調べることも重要な検討課題になっているそうです。そう言えば、夏までルームメートだった研究員の方が、一生懸命に植物の根の本数を数えながら強度試験をしていたのを思い出しました。


10年目で初めての作動
オランダ
マエスラント洪水バリアが1997年に完成して、これまでに作動したことが一度もなかったそうです(訓練のための開閉はおこなわれておりました)。去る11月7日〜8日にかけての高潮で水位が3メートル上昇したことによりバリアが閉じました。写真左がバリアが閉じたときの写真です。結果的には北海を挟んだイギリスで小さな洪水だけが起こったそうで、オランダ側に被害を及ぼすだけのものではなかったようでほっとしております。写真中央および右はバリアの模型の写真です。川の両岸から出てきたアームが中央で合体し、22メートルの高さの円形の擁壁が川底まで沈められます。
もちろんこのバリアが閉ざされている間は船の航行が一切出来ない状態になっており、経済に与える影響もかなりなものと考えられます。


オランダの最高ポイント
オランダ
オランダは平坦な地形しかないと思っておりましたが、南部のマーストリヒトの郊外にあるファールス(Vaals)にオランダ最高点の場所があります。写真左がそのポイントで、中央の写真が示すようにオランダ標高基準点NAP(New Amsterdam Pile)より322.5メートル高いだけです。山というよりは丘に近いところでした。ちなみに一番低い場所はNieuwerkerk aan de IJssel (どこにあるかわかりましたらリポートします)で標高基準点よりも6.74メートル低いそうです。
写真右は、最高点の近くにあるドリーランデンプントで、オランダ・ドイツ・ベルギーの国境が1点で交わる場所に建てられた石柱です。展望台や遊園地もあり、大勢の人で賑わっておりました。


これが有名な・・・
オランダ
これが有名なハンス少年の銅像です。探すこと15分、左写真の通り近所の方が日光浴のために止めてある自転車の奥に見つけました。スパールンダムというアムステルダムに近い小さな町でありました。近づいてみると写真中央の通り堤防の水漏れの箇所に指でふさぎ、誰か来ないか見ているようであります。逆側から見るとハンス少年も木靴を履いている事がわかります。
いろいろ調べてみると、このハンス少年の銅像は別のところにもう一つあるようです。(これから調査をいたします)また、残念ながらこの「ハンス少年の物語」はどうもフィクションのようであります。
運河に囲まれたオランダならではの話題ですが、シビルエンジニアとして市民の生活を守るという共通点があるようにも強く感じます。皆さんはどの様な感想を持たれましたでしょうか?



大堤防
オランダ
オランダでは常に水害の危機に直面しているため、この30キロメートルにも及ぶ大堤防(Afsluitdijk)が1927年から1933年にかけて建設されました。この大堤防によりゾイデル海が淡水化してアイセル湖となりました。さらにアイセル湖では5つの干拓事業が計画され4つの地区で1.7万ヘクタールが農地として造成されましたが、残る一つは財政上の問題と干拓後の使用目的から凍結されております。そしてちょうど今年が締め切りが完成して75年目を迎え記念イベントなども行われていました。デルタプランで紹介した1953年の高潮ではその威力を見事に発揮したそうです。建設当時の貴重な映像がこちらからご覧になれます(オランダ語のみです)。
表層の法面護岸は人力で石積みが行われ、その姿をモニュメントとして、大堤防の中央に位置するパーキングに見ることができます(写真右)。また、石と石の間に柳を挟み込む伝統的な工法で自然環境にも配慮されております。
まさに水と闘って国土を獲得してきたオランダの象徴です。



デルタプラン(2)
オランダ
1957年からデルタプランが実行されてきておりますが、写真は1986年に完成しました東スヘルデ洪水バリアです。デルタプロジェクトのなかでもっとも巨大で高額の費用を要したバリアで全長が9キロメートルに及び10年の建設期間を要しました。当初は完全に締め切ってしまう計画で建設が進みましたが、生態系への影響が問題視されるようになり、洪水時だけ水門を閉める可動堰に一部分が変更されました。
また、写真中央のように可動堰の上は道路となっており、対岸へ渡ることができます。周辺には発電用の現代の風車が数多く並びます。(写真右)



デルタプラン(1)
オランダ
オランダは国土の半分以上が海面下にあるという特徴を有しております。1953年に北海から発達した低気圧により、高潮が発生し、オランダ南西部のおよそ20万ヘクタールの土地が浸水し、4500戸の建物が流され、10,000頭の家畜が被害に遭いました。そのときの死者は1853名という大災害でありました。
その後、この教訓を生かし二度と同じ被害を起こさないようにと、1957年にデルタプランが実行されてきております。デルタプランは、高潮に対して川をふさいでしまうというものです。
1997年に完成したマースラント洪水バリアの全体像(模型)は左の通りです。平時はバリアは開いた状態で川の両岸に収納されており、船が航行することができるようになっております。水位が上がると高さ22メートル・幅210メートルのバリアが両岸から出てきて360メートルの川幅をふさぎます。上流には世界最大級の貿易港であるロッテルダム港(ユーロポート)があります。



ライデンの城壁
オランダ
ライデンに現存する最古の構造物がこの城壁であり、1573年からの独立戦争の際にスペイン軍に対してライデンの市民がおよそ1年間籠城して戦ったところであります。当時世界最強のスペイン軍を相手にライデン市民は堤防を決壊させてスペイン軍を水攻めにし、退散させたそうです。この城壁は小高い丘の上にレンガ積みで造られており、城壁の上からの見晴らしはとてもよかったです。また、城壁内をみるとそれほど大きくないのにびっくりいたしました。何人が籠城していたのかと思うほどです。また、中には井戸が残されており、貴重な水供給として利用されたものと思われます。なお、日本学科があることで有名なライデン大学は、このスペインとの戦争での市民の勇敢な抵抗運動を称えてオラニエ公ウィレムが許可をして1575年に設立されました。


アムステルダムも変わります
オランダ
現在、アムステルダム中央駅も改修工事中でありました。アムステルダム駅は、東京駅がモデルにしたといわれており赤レンガがとても印象的な駅舎で、なんと約9000本の木杭によって軟弱地盤上に支えられております。このアムステルダム中央駅の下に地下鉄北南線の工事が2012年の開通に向けて行われております。この工事は駅舎等の歴史的な構造物に影響を与えないように行われており、写真中央は地表面からの開削で建設を進めているところです。また写真右側の看板は、地下掘削で地下水の影響を受けないように地下室の気圧を2.5気圧に上げて掘削工事をしている事を写真付きで説明されております。アムステルダムも変わります。


テクニック・ミュージアム(TUDelft)
オランダ
デルフト工科大学はテクニック・ミュージアムを所有しております。ミュージアムの展示内容は、機械や計算機等の歴史などの常設展と特別展として現在ではアフリカ地方における技術協力の展示が行われておりました。また、シビルエンジニア関係としましては、写真中央にあるように構造物の仕組み(アーチ構造)をブロックを組み立てることによる体験型の展示が常設展でされておりました。また、写真右はオランダの地盤の標高を表したもので、水色は海面以下、黄緑色は海面とほぼ同じ高さをそれぞれ示しております。本当にびっくりいたしました。
そう言えば理工学部ではそろそろオープンキャンパスが開催されます。来場者が楽しめる内容にしていていただきたいと思います。高校生の皆さんは将来のやりたいことを真剣に考えてくださいね。


2000年前にタイムトリップ?!
イタリア
塩野七生の「ローマ人の物語」を読んで以来、一度ポンペイの街を訪問したいと思っておりました。西暦79年8月24日にヴェスヴィオ火山が大噴火により麓のポンペイの街を5メートルの火山灰や泥流で埋没させました。その後、18世紀から発掘が開始され、世界遺産にも登録され、その一部が公開されております。
写真左はポンペイの街の中心に位置する公共広場に建設されたアポロ神殿の基礎と柱部分が見られます。奥に見えるのがヴェスヴィオ火山です。およそ2000前にタイムトリップしたような状況です。人々も豊かな暮らしをしていたようで、写真中央が24時間自由に使える水道です。どの家からも2分以内に水道まで行けたそうで、お金を支払えば自分の家まで水道管を引くことも出来たそうです。また、写真右は車道に設置された横断歩道で、車道と歩道には段差がついており、丸い石の間を馬車の車輪が通るようになっております。その他にも劇場や闘技場、公衆浴場などの施設もあり、ここに来て改めて現在の生活の豊かさを考えると共に、シビルエンジニアとしてこれから取り組まなければならないことを考えさせられます。それにしても、恐るべき古代ローマ人。


タワーブリッジ
イギリス
土木構造物といえばやはり『橋』が代表ですね。誰もが知っているタワーブリッジは1894年に完成したテムズ川に架かる跳開橋です。40メートルもあるタワー内部はミュージアムになっており、橋の歴史のビデオや写真、建設された当初使われていた水力式発電装置(現在は電力を使用しております)なども見ることができます。もちろん塔と塔を結ぶ連絡通路(写真中央および右)を歩くこともでき、テムズ川の上からの景色はとても素晴らしかったです。私にとって多少違和感のある橋の色は、1977年に女王陛下の25周年を祝してチョコレート色から塗り替えられたそうです。



ロンドンアイ
イギリス
1999年の12月31日にオープンしたロンドン・アイ。世界最大の観覧車で25人乗りのカプセルが32個ついており、高さは135メートルに及びます。当初は5年間だけの営業許可だったそうですが、今やロンドンの主要な観光施設となり恒久的な施設として地元の同意を得たそうです。各部品の製作をオランダの会社が担当し、ロンドンで組み立てをしたとのことです。注目したいのはその構造形式です。写真中央にあるように2本の足と6本のワイヤーケーブルだけで支持されております。写真右はワイヤー部分を撮影したところです。総重量2,100トンにも及ぶ構造物をこれらでしっかりと支えております。とてもユニークな構造だと思いませんか?もちろん今後はメインテナンスが重要になってきますね。


モン・サン・ミッシェル(世界遺産)
フランス
708年に大天使ミカエルに捧げる教会として建設され、その後、修道院・要塞・監獄とその姿を変えてきたそうであります。特徴は、湾の中の小島に建てられていることで、湾の干潮と満潮の差が15メートルもあり、干潮の時に人々は歩いて渡ることができたそうです。しかしながら1865年にオランダからの技術により運河や車の通ることのできる堤防(写真中央)が建設されたことにより、河川の流れが変えられ周囲への砂の堆積が加速されるようになり、陸地化が急速に進行している状況です。1995年に従来のモン・サン・ミッシェルを囲む砂州と海の景観を取り戻すために大プロジェクトがスタートしました。写真右がその工事風景で、クースノン川にダムを築き堆積した砂を沖に流す役割の再生を目的にしております。また、写真中央の堤防を壊し橋を造ることにより、潮の流れを元に戻す計画だそうです。自然環境の再生には、多額な費用と長い歳月がかかりそうです。


ベルサイユ宮殿(世界遺産)
フランス
パリの土木遺産と言えばやはり「ベルサイユ宮殿」ではないでしょうか。総面積800ヘクタールに及ぶ広大な宮殿と庭園の規模を誇ります。宮殿も素敵でありましたが、庭園の規模や彫刻・噴水などは目を見張るばかりでした。当時のフランス絶対王政の権力が想像できます。庭園からの雨水の排水にはとても苦労しており、およそ10年間をかけて掘削工事やポンプの設置工事などが行われたそうです。ベルサイユに来られる際は、フランス革命前後の歴史をしっかりと復習(世界史を受講していない人は大変だと思いますが?!)して、ソフィーコッポラ監督の「マリーアントワネット」でベルサイユ宮殿を予習されることをおすすめいたします。


キンデルダイク(世界遺産)
オランダ
19基の風車が一帯に並んでいる姿はとても美しいものがあります。このあたりの地表面は水面よりも低く、水を汲み上げる手段として風車が運河沿いに建設されました。1950年までは実際に水を汲み上げておりましたが、現在ではモーター式の装置(写真中央)でおこなっております。風車の内部も公開されており、風車の仕組みや内部での生活の様子を見ることができます。また、私が視察に行った際にちょうどオランダのプリンス(Johan Friso)も視察に訪れておりました。


ヘットロー宮殿
オランダ
1686年から1975年までオランダ王室の夏の別荘であった同宮殿は、オランダ総督ウィレム3世によって狩猟の館として建てられました。その後、1984年から博物館として公開されております。広大な敷地面積を有し、宮殿の中は当時のオランダ王室の調度品が各部屋に配置されており、目を見張るような優雅さでありました。また、裏の庭園も17世紀を思い起こさせる幾何学模様のバロック庭園を見事に再現しており、目を見張るばかりの美しさでありました。
この宮殿は昨年、皇太子ご一家が静養されたことで話題となりました。警備の方によりますと、この宮殿の奥にある別の宮殿に滞在されていたそうで、散歩に来られる雅子さまの姿を見かけた事があると説明してくれました。


デ・ハール城
オランダ
13世紀に建てられ、ヴァン・ズイレン家が所有していた城を、19世紀に莫大な費用をかけて再建されました。再建を手がけたのは、アムステルダム中央駅を設計したカイペルス氏です。アムステルダム中央駅は東京駅の手本になった事は有名であります。デハール城はネオゴシック様式の最高傑作ともいわれ、内部には豪華な美術品などが展示されておりました。また、再建当時の貴重な写真も展示されております。現在も塔の一部分が保存に向けて修復工事中でありました。


ロッテルダムが変わります
オランダ
現在、ロッテルダム・セントラル駅前で大規模な工事が行われており、新しいイメージ図(写真左および中央)が駅前に大きく掲示されております。現状では、トラム・バス・自動車・歩行者等が入り乱れていますが、地下化にすることにより緑をともなった歩行者スペースに変更されるようであります。併せて駅舎部も斬新なデザインになるようであります。写真右は地下工事の支保工を撮影したところですが、オランダではH型鋼ではなく鋼管を用いているようであります(Geo Engineer向け情報も参照ください)。